今日のメモです。
あまりまとまっていないです。
演劇作品をつくるとき、
戯曲→読む→しゃべってみる、動いてみる→台本離す→その他の演出・作り込み
というやり方が多いかと思うのです。
まあこれがほとんどの現場で行われていることかと。
戯曲という名の「書き言葉」を、立体化していくのが役者の仕事ってえわけですね。
ほりうちの周りのある程度の経験のある役者さんたちは、
みんな「戯曲」をやりたがることがとても多い。
それって、なんなのかなあと思ったわけですよ。
誤解を恐れず言えば、
堀内の目指してるところは、
優れた「演出家」であり、優れた「劇作家」では無い。
でも。自分の作品を創りたいと思っている。
自分の創りたいものにそぐわなければ、
既存の戯曲を使う意味は無いかなと思っている。
ありますけどね。この戯曲おもしろい!やってみたい!と。
でもねー
その「面白い」って果たして本当に「上演して面白い」に結びつくのかなと。
あるいは。
「戯曲」はおもしろい。
でも上演されたものはつまらない。
それは演じた役者や演出家に原因がある。
と言われることもあるかと。
でも、それって果たして真実なのかなあと。
読んで面白いとやって面白いは、そもそも根源的に別物だったりしないかなあと。
わからないですが。
もし別物だったとすれば、
戯曲戯曲ありきの演劇の作り方のみ、というのは少々危険な気もする。
目で読んだおもしろさと、上演を見たおもしろさ。
そこに違いはありはしないか?
そういう疑いをちゃんともって、戯曲にのぞまないと、
何か大切なものを見失う気がする。
役者も。演出家も。
話し言葉と書き言葉は、ほんと違うんですよ。
書き言葉を読む時も
話した言葉を書き留める時も。
厳密には全く別ものだと思ったほうが良いかな、というのが、
昨日今日と漠然と思ったことです。
そう考えたとき「戯曲賞」ってなんだろか。
上演されておもしろいべきものを選んでいるのだろうか。
それとも、読み物としておもしろいものを選んでいるのだろうか。
後者の場合、小説を口語体にしたと何が違うのか、ということになりそうですが。
堀内はまだ劇作家ではないのでわかりません。
修行中ー。
posted by 研究員まゆ at 23:08|
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