2013年12月14日

演出家を料理人にたとえることについてだらだらと考察してみる

某Mプロデューサーが、演出家を料理人に例えていて、
それが、以来わたしにとって一番しっくりと来る考えかたなのですが。

名演出家は、名料理人ということ。
役者という素材に対して、どう対峙するかということ。
そして、その作品というひと皿にどう味をつけていくかということね。

あとはおのおので考えていただければ十分ですね。

1点だけ。
そうすると、「役者を育てる演出家」と呼ばれるひとたちは
「ファーマーズレストラン」をやっている農家のひとたちということになるのやら。
それはそれでもちろん価値のあることですよね。それを好むひとも多い。

いっぽう
素材にこだわってひと皿をつくりあげる、シェフなんかは、
良い役者訓練施設と契約している、やり手ディレクター、のようなポジションでしょうか。

でね。

そこから派生しまして、演出家をトップショコラティエに例えると
という話を模索。(←なんで? というツッコミはおいといて)

すると、世界に君臨するようなトップショコラティエだと
やっぱり納得のいくカカオ豆を手に入れるために、「世界じゅう」から、
それを栽培してくれる契約農家をとりつける。

そしてそれを、丹念にクーベルチュールへと変化させ、
珠玉のショコラを作るのです。

ただまあ一方で。
一流と呼ばれるクーベルチュールメーカーから取り寄せて、ショコラを作る
ショコラティエもいるのです。

さてこれを、演劇に戻してみますと。

カカオ豆は、役者の基礎稽古。
クーベルチュールに生成するのは、公演稽古だと思ったりするわけなのです。
で、そのクーベルチュールをショコラに成形していく技術が、演出。

だから、そうなると結局、
良い役者=カカオ豆をそろえても、
それを高品質のクーベルチュールにするには、優れたクーベルチュールの生成技術が
必要だなーと思ったりするわけなのです。

で、最後は演出力で、それをひと粒のショコラにまとめる。

この「クーベルチュールにする力」に
少し着目してみたい、ただいま2月公演絶賛稽古中です。


さりげなく宣伝。

詳細、近日中にお知らせいたします。







posted by 研究員まゆ at 00:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 演劇論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月25日

やりたい演劇がちょっと見えた。

さっぽろ演劇研究室の、というか、
ほりうち個人のいまやりたい演劇の方向性について。

昨年の即興劇「pain」の劇中映像に詩を寄せてくださったElenaさんと話していて、
自分のやりたい演劇は、

「ストーリー」というより「詩」

なのだと思い当たりました。

Elenaさんはルーマニア出身の詩人の方なのですが、
彼女のかく詩は、叙景的というよりは小さな「物語」に沿ったもの、
言うなれば、まるでちょっと短編ムービーを見るかのような作品が多い。

彼女の作品を映像にしてみたい。
というのも、思ったところではあったのですが(そういう約束もしました^^)
今度予定している公演をぜひ、Elenaさんの詩をモチーフにやってみようかと思っています。

テーマは「老い」。

最近ほりうちがとみに興味がある話題が、
たまたま、彼女の口からも今日聞けて、とてもおどろいたところ。

どんな風な作品になるか、チャレンジしてみたいと思います。

なお、この公演は8月にやる予定。
いま、キャスト・スタッフを募集していますので、
もし興味のあるヒトはご連絡をくださいねー。
labo.labo@live.jp



ちなみに、
私が今まで勉強してきた俳優修行って、
いかにその役を生きるか、という
だいたいが「物語」を構築する能力を伸ばすためのものだったのですが、

「詩」を演じる場合、役者に求められるスキルとはどんなものなのだろうか。

もしかしたら、ダンスをしたり、歌を歌ったり、
そういう時に使うスキルに近いものになるのかもしれない。

こっちもいろいろ探ってみます。


なお、以下にElenaさん作、
即興劇「pain」に寄せてもらった詩 を転載しますね。
"No doubt" と "Death" です。
これ、公演では映像にしたので、そっちも準備が出来次第、後日公開しますー


~No doubt~

Beautiful eyes !
One day
shall come
For you
to have
enough smiles
This pain
known
only to us
away
may be..
...someday,
~No doubt!


Death

We all have to die,
most of the people
are quite scared of it
but some may find it
sweeter than a pie..
I wonder what could
make the difference, why?
A humble guess I try :
..Might be ..
"The pain?!"
As maybe for a life
swimming in pain, death
could be a welcome friend
with smiles and open arms
We maybe wait.
But if we're happy
with no problems
we would run away
trying to shut each gate.
Then death,
suppose,
could be quite scary..続きを読む
posted by 研究員まゆ at 00:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 演劇論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月16日

なぜ「演劇」は生でなければならないか? 生だと何が良いんか? について自分のために、覚え書いてみる。






私は演劇をやっている。
ただ最近では、「演劇」というくくりに固執するつもりはなく、
「舞台芸術」全般という部分で関わろうとしていますが。

ATTICでお世話になっている梶田さんが、
「演劇の生の良さ」って何さ?

と仰っていて、それについてほりうちが「いま」考えていることを少し。

自分のために書いてみようかなと。

いま漠然とだけれど考えていることが、2つ。



ただし!
どっちも受け売りですのでご注意。

でも良いのだ。

受け売りでも、
実際に現場を経験して来た私が、
頭でなく実感として納得できたことなのだから。

そのため、
もはや誰の受け売りなのかも、つつみ隠さずここにさらしつつ、記録。


まず1つ目が、
「舞台芸術」は「ゆらぎ」であるということ。

これの出典は写真雑誌「風の旅人」に寄せられていた文章です。(←さらし)

さらにさらし続けるならば、そもそもこの文章は、
ドゥヴィーニュ仁央さんのブログ
ほりうちは知りました。

で、取り寄せた「風の旅人」に書かれていたのが、
「舞台芸術」は「ゆらぎ」であるということだったのです。

拡大解釈すれば、
「ゆらぎ」にはおおいに演者が「失敗する」リスクというのも
もちろん含まれている。

その場その場で演者が生み出すこと、やっちゃうこと、

昨日はできていたことが、今日はできないかもしれない、

昨日喝采を浴びたことが、今日はどん引きされるかもしれない、

でも、何か良く分からないけれど、ものすごいはまる瞬間があって、
お客さん全員大号泣、みたいなこともあるかもしれない。

そういうワクワク、ハラハラ、ドキドキ、
ある意味スリリング、ある意味刺激的、大冒険。

そんなまっただ中に演者もお客さんもいるのが、
舞台芸術だと思うのです。

この大冒険は、映像では絶対味わえない。
漫画や小説でも味わえない。

だから、演劇はストーリーがあることが多いのだけれども、
ストーリーを楽しむ、というより、そういう「ゆらぎ」を楽しむものだと
ほりうちは思っています。

だからこそ、「演劇」というくくりに固執するつもりはいま無くて、
「舞台芸術」全般を追っているここ最近です。

一応筋書きはあるけれど、筋書きの無いドラマ。
それこそが「演劇」。

というか、人生そのものが本来そうじゃん?

何でもかんでも科学で予測して、
それでも「例外」や「想定外」、
「ありえないこと」が起きてくる。

それが私たちの生きているこの世界なのですよ。本当は。

そういうことを、思い出させてくれるのが「舞台芸術」かなと。


ほりうちが思うに、

「マネジメント」ってやっぱり「科学的手法」なわけで。

なるべく「予測不可能」な部分を排除して検証して、で、成功に導きたい。
それが目的じゃないですか。
そういう「質」が、舞台美術の根本的な考え方とたまに食い違うんじゃないですかね?

でも「食い違う」だけであって、
両立できないわけはないと思うのですよ、私は。

というか、アートを商品にしないマネジメントであっても、
やっぱり当たりはずれはあり、100% 確実に儲からせる!
という方法はどこにもないのだな、と、
いま現在企画室に身を置くほりうちは思うのですよ。
(だからこそ、いまのほりうちのような仕事が成り立っているわけでもありますが)


2つ目が、
芸術の効用とは「カタルシス」であるということ。

はい、これの出典はこちらのサイトでござる。(←さらし2)
福田恒存 芸術の効用とはなにか


これを読むと、舞台芸術の主役は何も演者では無いのだなということをあらためて思う。

よく言われることとして、
「演劇好きな人は自分も演劇やっちゃうから、結果 ”純粋な” 観劇人口が減る」
的なこと。

または、
「演劇やってる人しか、演劇見に来ないよね(苦笑)」
的なこと。

でもそれは、別に普通のことであって、
取り立てて問題視することじゃないのだなというのが、いまのほりうちの見解。

ああそういえば、日本はお稽古ごとが盛んで、
市民が芸術を「やる」人口が多い、というのも、以前書いたっけ。
過去記事:演劇は仕事になるのか?レポート

それも含め、別に問題ないことなわけで、
むしろ「芸術」が特権階級だけのものになってしまっているほうが不健全、
との見方がこの出典かなと。

私のまわりの舞台芸術関係では、
最近はそれは結構気づかれていることかなとも。

コミダンもそうだし、
学校にアーティストが行ってワークショップやったり、
市民参加型舞台があったり、
「見て」&「やる」というのが、主に昨今の舞台芸術のあり方なのかなと思う。

ワークショップ流行ってますなー。

ただ、
とすると、素人とプロの境はどこなのかーという基準が曖昧になり、
それは職業演劇人にとって好ましいことではないので、

だからほりうちは、

演劇で食える食えない以前に

「演劇のプロを育成する場所」と「演劇を指導するプロを育成する場所」を早く札幌に作れやこら、

と思っているわけなのですけど。
(自分自身で作ることも一応視野に入れてますが。)


一応の基準として、ディプロマとか資格とか、卒業証書なんかがあれば

で、それを持っているのがプロということになれば、

ひっじょーにわかりやすいのではないでしょうかね。

このことに、どうして誰も着手しないのかがほりうちは今もってとても不思議なのですけど。
いや、もしかしたら水面下では動いているのかもしれないですけれどね。


・・個人的には「夜学」でも可、ということになってくれると
とても有り難い(笑)。あと子連れ受講可とか、託児有りとか。(←言いたい放題)


話を戻しますと、
そうやって見るにせよ、やるにせよ、

「演者と観客とが一体となった祈りと浄化いう機能=カタルシス」を感じ
「精神をゼロの状態に復帰させる」「人間を何者かにするのではなく、何者でもなくなるようにする」
ことが、舞台芸術の使命かなと思うわけですよ。

まあ壮大な。



何もかもシステム化されて、デジタル化されて、効率化されて、合理化されて、
無駄無く、危なくなくやっていくことが奨励されているいま、

こんな「泥臭い」右往左往する芸術があっても良いんじゃない?

だって本来人間は「泥臭い」んだもの。

それを思い出させて、実感させてくれるのが、私にとって「演劇」ですかね。










posted by 研究員まゆ at 02:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 演劇論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月07日

リアルとフィクション。

次回公演、次々回公演の顔合わせをしました。


当初は、
前回 えんげき創り公演のブラッシュアップ版を12月にやる予定だったのですが、
予想外にほりうちがいろいろ予定詰まって来まして・・・


気がついてみたら、


なんと


10月、11月、12月、1月、2月
毎月本番があるという状態に。(2月は演出のみ)


・・・。


いえ、ありがたいことです。

感謝。


あとは、ぜひともやりたい公演の形が浮かんだので、
それを実現するにはもう少ししっかり準備して、
外部の方々とも協力して、計画をしたいと思ったのです。

ですので、「えんげき創り事業」としての公演は、来年に実現する予定です。
詳細決まりましたら、また告知させて頂きます。


そんなわけで、さっぽろ演劇研究室の当面の予定ですが、
まず12月と2月に向けて、短編作品を作る予定です。

今日はそのための顔合わせをしました。

前回の公演でいろんな方に意見・感想を聞かせて頂いて、
いまほりうちが目下関心があるのが、「リアル」と「フィクション」。

寄せて頂いた意見は以下を参考にして頂ければ。
劇団オガワ 和川さんのブログ
kensyoさんのブログ


たとえば映像って、何かが行われている現場にカメラを持ち込んで、
生の映像を記録する、「リアル」を記録する、ということが可能ですよね。
「ドキュメント」も作品になる。

でも

演劇の場合、舞台で演じられていることは結局「リアル」ではない、「フィクション」。

役者が、この「フィクション」をいかに作れるか、
ということがいまの最大の関心ごとなのです。

で、そのために今のばしたいと考えている力が、

「即興力」。

12月と、来年のブラッシュアップ版に向けて、
「即興力」をのばすべく稽古していきます。


そして一方、演出ほりうちの課題が「戯曲分析」。


・・対極だがな。


でもやっぱりねー
自分で執筆してみて思ったのです。

キャクホンカマヂスゲーって。

尊敬します。


で、幸いにも、
2月に、既成戯曲のお祭りのような公演に参加させてどうやら頂けそうな運びとなり、
「戯曲分析」もほりうちを筆頭に稽古で交えてゆく予定です。

稽古の日程や場所は、また順次、
えんげき創り事業のHP にアップしていきますので、
興味を持たれたかたは、見学や参加など、お気軽にいらしてくださいね ♪


でもー

「即興」難しいよね・・・

昨日たまたま、
えんげき創り事業に興味を持ってくださったマサさんという方とお会いして、
いろいろお話させて頂いたのですが、

役者本人がそこにいる、だけでは「即興」と呼べない。

という話を聞き、かなり納得したのでした。

その人そのもの、ではなく、
「フィクション」の中の「何者か」、として存在するのが、
本当の演劇の「即興」だと。


これって
相当難しいですよね。


たとえば何か、手近にある小説を手に取って、
その中のいち人物になり切って、20分間生活してみる、
ということにチャレンジしてみるといい。

かなり難しい。

それを少しでもやさしくするために、「台本」がある、
という解釈もできるのかも。


うーん。

ほりうちの「リアル」と「フィクション」最終目標としては、
リアルの中に「フィクション」をとけ込ませたい。

その化学反応が見たい。

さてどうなりますことか。ふふふう。



今日は長文になりましたが、
最後に告知を2本(笑)。

10月と11月にほりうちが出演させて頂く公演です。

10月のほうは会場が岩見沢ですが、入場料は無料。
札幌にお住まいの方もぜひお気軽に。






流しの芝居屋プロジェクトvol.1
「BLACK」〜夕刊倶楽部=ここはみんなのパラダイスヒルズ ジュンコの館へようこそっ!編〜
in 市民の文化祭/岩見沢市

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作・演出・振付:まりも

日時:10月27日(土)16:30開演
場所:岩見沢市民会館/文化ホール「まなみーる」(岩見沢市9条4丁目1−1)
【 JR 】函館本線 岩見沢駅 徒歩10分
【バス】岩見沢駅前バスターミナルから中央バス or 高速いわみざわ号 市民会館前 徒歩1分
入場無料

「ジュンコの館」は今日も閑古鳥が鳴いていた。
そんなある日、記者が店に取材に訪れた。

ジュンコママを取り巻く店の客達と繰り広げられる三文芝居の数々。
そしていつの間にかたどり着く家族愛の結末!!

そして「BLACK」とは、一体何なんだ?!



「流しの芝居屋プロジェクト」とは、先日シアターZOOで行われたワークショップ
”イッセー尾形の作り方” に参加したメンバーを中心に構成されたプロジェクトです。

そこに、今回ほりうちも出演させて頂くことになりました。

上質な「三文芝居」を目指します(笑)。








もう1つ。11月、TGR参加作品です。

TUC+KYOKU公演
「オンディーヌ」

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原作:ジャン・ジロドゥ
脚色:橋本一兵
演出:滝沢修
人形監修:沢則行

日時:11月3日(土)15:00/19:00  4日(日)11:00/15:00
※開場は開演の30分前です。

場所:札幌市こどもの劇場やまびこ座(札幌市東区北27条東15丁目)
※地下鉄東豊線元町駅2番出口より徒歩5分

料金:大人 1,500円  小人(小学生〜高校生)700円  親子ペア 2,000円

情報はコチラ→TUCブログ http://teatrotuc.exblog.jp/

後援:札幌市/札幌市教育委員会
協力:さっぽろアートステージ2012実行委員会、札幌劇場連絡会


いつもお世話になっている札幌の劇団TUC+KYOKUさんに、
Taneというダンスグループのメンバーとして参加させて頂きます。

子どもも大人も楽しめる、をコンセプトに作っています。
上記、TUCさんのブログにも写真が載っていますが、
衣装、小道具が奇麗でもう夢のよう・・・

舞台セットもとても美しいものになるのでは、ととてもわくわくしています!
ぜひお見逃しなく。
なおチケットお取り置きは、さっぽろ演劇研究室に連絡くださっても大丈夫です。

09075153019(ホリウチ)
labo.labo@live.jp

ご来場お待ちしています!
posted by 研究員まゆ at 00:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 演劇論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月18日

自然とひとについて。いま思ってるコト。

チューリップ.png

”えんげき創り事業”、興味をもって下さる方が少しずつ増えて来て、
嬉しありがたい限りです。
ありがとうございます。

まだまだ参加者は募集していますので、お問い合わせ等、お気軽に。


いずれこのプロジェクト専用のHPやブログも立ち上げていきたいのですが、
なにぶん作業が追いついていないので、ひとまずこちらのブログでー


今回、メインの1つは ”野外で演劇をする” ということなのですけど、
その理由としてほりうちが考えているのが、

そもそも
現代演劇自体、もうめっちゃ人間の「自我」に焦点を当ててる芸術なので、
それを自然とともにやったらどんなアプローチが可能なのか?


ということに興味を持ったのです。

以前、実はこのブログで書いていたのですが、
自然を扱った演劇って、倉本さん以外でホントに聞いたこと無い。

少なくともほりうちは。

ダンスとか、絵画とか、あと音楽とかは
自然をテーマにするのはふつうに可能だと思うのですが、
演劇で「自然」をテーマにするのって、とてもハードルを感じる。

それは、現代演劇がそもそも戯曲や「ストーリー」
つまり「テキスト」ありきで、
そしてそれはつまり、「ことば」ありきで、
そしてそしてそれはつまり「人間=自我」ありきで、
しか展開できない芸術だからなのかなと。


「人間」に捕われやすい分野であるのは、もう必然なのかなと。


でも歴史をさかのぼれば、
自然の恵みに感謝する寸劇や、
自然を「神」として象徴し模倣する演劇や、
「神」である自然に奉納する演劇も存在していたわけですよね。
かつては。

「個人の自由」やそれにともなう「自我」が確立されてきた現代において、
確かに演劇の「宗教」的な部分はなりを潜めている、それは当然なのかもしれないですが、
でも、「自然」は切り離せないと思うんですよね。人と。

現に、グリーンツーリズムとか、自然学校とか、
子ども達に自然と触れあわせよう、というプログラムは
むしろ盛り上がってきていますよね、昨今。

ということは、人間と自然は、
どんなに科学が進歩しても切り離せないんだ、
ということを、人々は本能で理解しているはずなんです。

なのに、それがあんまり演劇で扱われないのは、
なぜなんだろう?
そして、それを扱ったらどういうことが可能なんだろう?

というのがこのプロジェクトの核でもあります。

ただ、1つ注意したいのは、
決して「自然賛美」なプロジェクトではないのです。

むしろ、人間が文化を作ってきた根本、始まりは
「自然とは敵である」ということが最初に来ると思うのです。


単に自然っていいよねー
にとどまらず、そういう緊張関係もはらんだ部分を含めて、
自然と対峙していきたいと思っています。


この札幌育ちのインドアーな私がね(笑)。


ちなみにその方法はまだ模索中ですが、
ルコック・システムなんかのアプローチが結構役に立つのではないかなーと
思ったりしています。

スタニスラフスキーやメソッドは、どうあがいてもやはり
「自我」に焦点が当たっていると思うので。

身体的な部分は、ダンスのほうに方法論が結構蓄積されてそう。

ただ問題はやっぱり「ことば」かな・・・と・・・

いまのところ、「オイリュトミー」という、
ことばの子音と母音を身体表現にする
芸術であり、シュタイナー教育という子どもの教育に用いられている
表現があるので、このへんも参考にしていきつつ。

とは思っています。


いろいろ書きまして、
専門用語など、
また後日、記事内で少しずつ
解説していきたいと思っています。

ひとまず、
いま考えているのはこんなかんじで・・・

でも実際は
さて、どこまでやれるのだかー・・・(笑)

posted by 研究員まゆ at 01:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 演劇論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月27日

確信。

3.11.の時、企業が興行を自粛したり、演劇公演の是非が問われる中、
私が東京でお世話になった万有引力のシーザーはこう表明していた。

だが、我々の生きる場所は舞台の上にしかない。

そうなのだ。
不謹慎だから自粛する、公演の売上金で被災地に寄付をする、だから公演する。
そういうことではないのだ。

社会を受け止めて、全ての人を受け止めて、
それでも演劇人は舞台の上でしか行きていく道がない。


先人達の域にはまだきっと及ばないけれど、今は私も確信している。

私の生きる場所は舞台の上にしかない。
posted by 研究員まゆ at 21:24| Comment(0) | 演劇論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月08日

公演終了しました。

たたみかけるように、さっぽろ演劇研究室 短編演劇プロジェクト@とAが終了しました。
今回、あまり宣伝に時間をかけられなかったのに、知人・友人がかけつけてくれました。
本当に、いろんな方々に支えられているな、と感謝しました。
次回はもっと多くの方にお届けできるようにがんばります!

今回の2作品は、一つが一人芝居、もう一つがオムニバスで、
シーンの立ち上げに重きをおいた公演だったのですが、
見に来てくれた友人の1人から「テキスト=台本」の不在、というところを指摘されました。

確かに、劇中での人物の設定、人間同士の関係性というところは、
全く触れていなかったな、と実感。

でも一方で、「テキスト」ありきの「演劇」という形にも疑問を持つ部分も私にはあります。
ただそこを突き詰めてしまうと、マイムやダンスと、演劇は何がちがうの?ということにもなるわけで。

次回公演ではその部分を噛み砕いてみようかな、と思います。

応援くださったみなさま、本当にありがとうございました。
posted by 研究員まゆ at 01:41| Comment(0) | 演劇論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月30日

電撃でナイト。

omuraisudatta.jpg


先日ある舞台を見ました。

芝居をしていたけれどそれは私のカテゴリーの中で演劇には属していないと感じました。

演劇は自由だ。
表現は自由だ。

でもまぁ
自分の中で何かこれが演劇というものがあるのでしょうね。

輪郭は決してはっきりしてませんが、
相対的に見ればこれは演劇でこれは演劇でないと
判断した自分に驚き。
posted by 研究員まゆ at 01:16| Comment(0) | 演劇論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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