一番印象に残ったのが、
日本の演劇人のあいだにある「リアリズム=日常を舞台にのせること」という誤解。
という部分。(結構古いお話で恐縮です。。)
演劇は決して日常の一部を切り取って舞台にのせるものではなく。
たとえばチェーホフの戯曲は、
「その時代のロシア貴族の日常」を描いたもの
なんかでは決して無く、 さまざまなしかけがほどこされている。
この戯曲を通してあるテーマを伝えるために、チェーホフは「リアリズム」という手法がもっとも最適と思ったから、そういうふうに書いただけであって、
そのテーマを伝えるために、もっと良い設定があれば、
そちらを採用しても別に良かった。
それが、「ロシア貴族の日常」なんだこれが!と誤解されてしまったのは、
チェーホフとセットになって紹介される、
役者のトレーニングの1つ「スタニスラフスキー・システム」が、
役者の感覚の記憶やらなんやら、
「日常」からその役者技術を体得しようと、いうアプローチなのだー、
という誤解のもと、日本に最初に輸入されてしまったから
なのさ。
これも、「日常」はあくまで入り口であって、
そこからいかにイマジネーションを掘り下げるか、新しいものを生み出していけるか、ということこそが役者の技術であり、伸ばしていかなければならないスキルなのだけれど。
その「入り口」でストップしているのよね。
というのが、最近若いみなさまと演劇させて頂いている、ほりうちの感想。
こないだメンバーの1人が「自分はストックが少ない」ということを言っていて、
そうじゃなくて、
いまここで生もうよ!
というアドバイスをさせていただきました。
最終的には「クリエイション」に向かっていく、ためにやるのが稽古なのです。
もちろん稽古初期には、戯曲の解釈、そういうところに焦点が当たっても良いけれど。
最近なにやら札幌の演劇では、既存戯曲をやろうという動きが熱いと、
ほりうちは感じているので、
ぜひぜひ、
このへんを意識した楽しい作品がたくさん生まれていくことを期待しておりますー
ダンス、フィギュアシアター、現代アートの作品創りの中では、
結構このような考え方は感じられるのです。
演劇もここを深めた作品創りをほりうちはしていきたい。
(という妄想。←)
ただ舞台にダンスが出る、人形が出る、美術が美しい、
そういった表面的なことだけで「コラボ」というんではなく、
そのアートの「思考過程」を取り入れていきたい。
コラボでなくフュージョン。
そのためには、ダンスにもアートにも、
演出家自身がもっともっと精通していかねばならないのだ。
わーん。
今年のほりうちの目標そこです。
演劇の、
リアルさは入り口として、
そこから新しい世界を構築していきたいものです。
『演劇とは何か』
鈴木忠志 著
岩波書店(岩波文庫)
ISBN-10: 4004300320
ISBN-13: 978-4004300328
発売日: 1988/7/20
演劇が現代に対して持つ意味は何か。その可能性はいかにして切り開かれていくのか。本書は世界的に活躍する演出家が具体的な実践にもとづいて展開する演劇論である。著者は演出・演技の方法、劇団という集団の持つ意味について独自の考えを展開し、活動の拠点・富山県利賀村から、文化の国際交流がいかにあるべきかを提言する。
