2012年06月23日

札幌の地域特性について本気出してかんがえてみた。


「劇場法」(劇場、音楽堂等の活性化に関する法律) が成立しました。

演劇に関しても、国や地方公共団体、劇場等の運営者、そして芸術家の、
芸術に果たすべき役割が法的に根拠をもって規定されたわけです。


特に地方公共団体は、「地域の特性」をふまえたうえで、
そうした役割を果たさなくてはならない。


ちなみに条文には以下の通り。※下線・色付けはほりうちによる。


(地方公共団体の役割)
第七条 地方公共団体は、この法律の目的を達成するため、自主的かつ主体的に、その地域の特性に応じた施策を策定し、及び当該地方公共団体の区域内の劇場、音楽堂等を積極的に活用しつつ実施する役割を果たすよう努めるものとする。

(地域における実演芸術の振興)
第十二条 地方公共団体は、地域の特性に応じて当該地域における実演芸術の振興を図るため、劇場、音楽堂の事業の実施その他の必要な施策を講ずるものとする。



・・・・・。


でね、

原案が出たときから思ってたのですが、
札幌の「地域特性」ってなに?

ってことなのですよ。


【特性】とは。
そのものだけが持つ性質。特有のすぐれた性質。特質。(by goo辞書)


・・・・・。


んー・・・
んー・・・

札幌の?
札幌の演劇の?

札幌の演劇だけがもつ性質?
札幌の演劇特有のすぐれた性質?

・・・なんなんでしょう?


札幌の演劇といえば、
「演劇による創造都市札幌実現プロジェクト」がありますが、

この趣旨を見てもやはり、
これから「演劇」にお金を集めていって、「演劇」でまちづくりをしていこう!
という「これから」のことにしか焦点が当たっていない。


ここからもわかるように、
やっぱ札幌の演劇って、「これから」なのだなと。

「いま」が固まってないのに、法律で

「さあさあ、札幌の地域特性ですぞ!」

「札幌の演劇だけがもつ優れているところを生かして、施策をするのですぞ!」

とか
迫られても、さー大変なこっちゃ、ということになりますね。

でももちろん、札幌市に対して、
「さあ、じゃあ、いまのこのさっぽろ演劇の良いところ、言ってよ!」
というのも無理難題というものです。

だから、これから

札幌で演劇をしていく1人1人が、

「札幌の演劇特性」=「札幌演劇にしかない良さ・優位性」を

自分たちで考えて、いろんなところにPRしていく、

そういう転機にきているのではないかな、
とほりうちは思うわけです。


で、
ほりうち自身はどう考えたのかと言いますと。

まず
参考にしてみたのは、札幌市のHPの中にあった
「 魅力都市さっぽろシティプロモート戦略について 」

コチラからもDLできます。→citypromotion_s_all.pdf

このPDFファイルを見ると、札幌の良さや魅力について、
マーケティング的に分析されていて興味深い。

その中で特記すべきは「食」と「自然」。
あと「デザイン」と「デジタル」もポイントが高いかな。

ほー。

でも「食」は観光資源かな、やっぱり・・・

たとえばビジネスプランニングとして、

札幌のおいしいもの食べに & 演劇を鑑賞しちゃう ツアー

にしてしまうのは集客が見込めるかもしれない。

しかも結構、これ当たると思いますよ、冗談抜きに。
特に外国人なんてターゲットにどうだろうか。

でもまあ、本質ではないので一応置いておく。


「自然」。
ほらー。
”えんげき創り事業” の方向性間違ってなかったでしょー?
と自慢してみる。

ええ、もちろん偶然ですとも。

でも私が野外演劇やりたいなーと漠然と感じたのも、
この札幌の豊かな自然が周りにあったからなのだよね、きっと。

みなさんも、一緒に自然の中で演劇やりませんか。
と、ここでPR(笑)。
”えんげき創り事業” 参加者募集中。


「デザイン」「デジタル」。
調査によると、札幌はとても住みやすいまち。
札幌の人は日々のくらしに、気持ちにゆとりがある分、
感度が高いのかもしれないですね。

あと、冬は家の中にこもらざるを得ないので、
それも要因としてあるかもしれないですね。

北欧のデザインがすばらしいのは、
長い冬をいかに楽しく過ごすかを考えた結果だという話もあるしね。



札幌の地域特性について
もうひとつ。

私は前々から、さっぽろは東京を意識するんじゃなくて、
どんどん海外とつながってくべきだと思っていて。

それは、本州の他の地域に比べて、
日本の「におい」というものが
本当に少ない街だと思うから。

歴史の浅い移民の街なので、
それならもういっそ移民根性、開拓根性で、
東京じゃなく、海外の文化をどんどん吸収していったらいいんじゃないかな
と。

でも、海外から演劇セミナーや
演劇教育の先生達が来ても、
だいたいみんな本州のほうへ行ってしまう。

人が多いから、参加者が集まるから。
そんな金銭的な問題で。

私は本当にそれがくやしいのだ。

飛行機に乗って向こうに泊まらないと、学べないなんて。

札幌の人が本当に演劇を学ぶには
どうしたら良いのかな・・・

そう思いながら、
さっぽろ演劇研究室は、
日々演劇書を読みあさる毎日です。

posted by 研究員まゆ at 02:21| Comment(0) | TrackBack(0) | アーツ・マネジメント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月14日

無理でした。

maishimai.png

「まい、姉妹、殺される。」の公演が近づいてきたので、告知・宣伝も兼ねて
内容に関することを書こうと思ったのですが、


無理でした。


だって、明日にはまた戯曲から違うものが見えるかもしれないから。
役者が、全然違う解釈を持ってくるかもしれないから。
全然今日と見えるものが変わるかもしれないから。
それによってまるっきり違う作品になるかもしれないから。

誰かに「こういう作品ですよ」ということを表明して、
自分がそのことに捕われる危険には触れたくないので、
ごめんなさい、抽象的なことや、当たり障りのないことしか言えないです。

そしてそれもまた、直前に変わる可能性だって無いわけじゃないので、
もし何かを表明して、それを期待して来てくださった方々に対しては、


ひーん、どうすればいいのおーー


・・・という感じになりますが。

演劇の宣伝て
難しい・・・

そのうち何か、良い告知方法が見つかるのだろうかーーーー!
がんばります・・・


私がいま言えるのこれだけ。

あ、上演時間30分前後です。

posted by 研究員まゆ at 01:05| Comment(2) | アーツ・マネジメント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月21日

「演劇は仕事になるのか?」レポートそのB

「演劇は仕事になるのか?」セミナーレポートそのBです。
これでおしまいです。


聴講者からの質疑応答や、細々としたことを最後に。

↓↓

(歩さんより→)
「かめ」についてどうですか?

(米屋さん)
ちょっと劇場が手狭ですよね。
150席の劇場では、食えないんじゃないかな。
また最近の劇場はバリアフリーなど、ユニバーサルな設計がもはや常識。
観客の間口を広げていくためにも、これは必須事項です。

(聴講者より→)
ビジネス、マーケティングのノウハウを演劇にも取り入れようという考えや、市場原理と演劇についてどう思われますか?

(米屋さん)
市場原理でやろうとすると、広告宣伝費を投入しないとできないんですよ。
それは、より多くの人々に、マスで情報を届けていかないと成り立たないから。
でもそれよりも、たとえば事前に演劇ワークショップをやって交流し、公演の地ならしをしておくとか、
公演に関連したアウトリーチを何かやるとか、別の「人を呼ぶ方法」を考えたらいいんですよ。
市場原理は「数」がどうしても必要。
でもそうではなくて、お客さんの「幅」について吟味するのが良いのでは。
そういったことに対する助成があっても良いですね。

私は最近「見ない演劇を楽しむ」というのもありかな、と思っていて。
舞台芸術は本当に「見た」人にしか伝わらないもので、それだけに大変なのだけれど、
目撃した人が「あれ良かったよ」「面白かったよ」と伝播していったからこそ、舞台芸術は続いていると思うんです。
観客と役者が濃密な空間を過ごし、それを体験した人が、他の人に伝えていってくれる。

(聴講者より→)
ライブを見に行ったときには、良いと思う曲が3〜4曲しかなくても、まあ3〜4曲あったから良いか、と思える。
けれど演劇の場合、物語の中に入り込めなかった場合、その時間がただただ苦痛なものになってしまうコストがある。
だから友達を誘いづらい。
私は好きな役者さんを見たくて、演劇を見に行って、
内容が面白くなくても好きな役者さんが見れたからいいか〜、と思えるけれど、そこに友達を付き合わせるわけにはいかないし。

(米屋さん)
その役者さんが好きだから、というだけでなく、
舞台全体として面白いと思えるものとお客さんとが出会える工夫が必要ですよね。
その「ジャストミート」を作るためにも、公演の「事前」そして「事後」が大切になってくるんですよね。
今回の公演はこういうものだよ、こういう風に面白いんだよ、ということを、事前に知ることができる場を作ることかな。

(聴講者より→)
市場原理にのっとったビジネスとしての演劇をやるか、公益法人として機関化し助成金をもらうか、
演劇人が食っていくためにはこの2つしかないんですかね?
小さな劇団が小さな劇団として食っていく方法ってないんでしょうか?

(平田さんより→)
小さな劇団という考え方がまさに「お稽古ごと」かなと。
そこからの脱却を図らなきゃいけないと今自分は考えている。
ぼくは「家庭菜園」に助成をする必要はないと思っている。
現在札幌で機関化されているのはこの北海道演劇財団と、NPO法人コンカリーニョの2つだが、それはシステムの上でそうであるだけ。

(歩さん)
小さな劇団は「巡業」に出て行くという方法がある。
いろんな人に届かせていくには、こちらから出向いていくしかない。
ただ、僕のように年に10本も舞台に出ている人間は演劇で食ってくということを当然考えなきゃいけないけれど、
年に2本しか演劇をやらない、けれどその期間中だけは「演劇のことだけを考えられる」
そういう保障をするような助成のあり方があっても良いのかも。

(米屋さん)
「食える」と言うより、「続けていく」にはどうすればいいのか、と考えるといいのかも知れませんね。



※補足(どこでどういう文脈でおっしゃってたのかがわからなくなりましたが、ほりうちがメモしてたこと。)↓↓

その1
(歩さんより→)
演劇の ”公益性” ということに鑑み、間口の広い作品を選定して上演しようと思う。
(という発言に対して米屋さんより→)
対象とするお客さんの幅が広い作品、ということに固執しなくても良いんですよ。
演劇人同士が競争して、演劇全体の質の向上というのがあれば良い。
そうすれば十分 ”公益性” ということにはかなっていると思う。

その2
(米屋さん)
よく勘違いされるのは、どこそこの劇団が、あるいは個人が助成金を受けたと聞くと、
「あそこの団体がもらった」とか「斎藤歩さんがもらった」、そんな風にとらえられること。
どうして演劇に助成しなきゃいけないんだ、という考え方になりがちですね。
でも、助成金が出たことで最終的にトクをするのは「お客さん」なんですよね。
お金を組織内で回して、表現の質が向上して、良い舞台が見られる。
それは「お客さん」にとって一番良いことなハズ。
(歩さん)
いただいたお金を、表現で還元していくということですよね。

その3
(米屋さん)
かつての助成制度が「赤字を補填する」という考え方だったことにも顕著なように、
「赤字で公演するのが当たり前」という考え方が演劇人の中でも根付いていると思います。
助成金を受けるのも、苦しいからであって、それをもらってプラスマイナスゼロでなければいけない、という。
でも、”非営利” で、”公益” であれば黒字になっても別に構わないと思う。
その黒字部分をまた組織内でまわして、さらなる表現の質の向上につなげていけるのだから。



おしまい!


つたない文章を最後まで読んでいただいてありがとうございます。
内容の抜け、とらえ違い、順番違いなど多々あるかと思いますが、ご容赦ください。
そしてその点を含みおいた上で、読んでいただけると幸いです。
また加筆・修正のご指摘、随時よろしくお願いします。

そしてそして最後になりますが、
今回このレポートが書けたのは、2歳の娘づれでの聴講に平田さんが「うん、まあいいでしょ」と言ってくれたことと、
終盤になってお目覚めしてしまい、騒ぎだした娘を財団のあべさんが「ちょっとあっちで遊んでましょうか?」と言って、
ロビーで見てて下さったこと。
そして子どもが会場にいてもそれを受け止めてくれていた、他の聴講者の方々のおかげでした。

この場を借りてお礼を申し上げます。
講師の米屋さんを含め、本当に貴重な機会をありがとうございました。
posted by 研究員まゆ at 05:46| Comment(4) | アーツ・マネジメント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「演劇は仕事になるのか?」レポートそのA

「演劇は仕事になるのか?」セミナーレポートその2です。


「助成」についての続き。
昨今では助成金の目的として、演劇「を」支えるではなく、演劇「で」支えるという考え方がクローズアップされている。
福祉や教育の分野で、芸術のもつ力が認められてきたということだろう。
こうした分野に芸術を運用していくためにも、本当に力のあるアーティストの存在が求められている。
「本当の」芸術の力を発揮できるプロのアーティストを。

欧米では助成金制度の制定に当たり、1966年にボウモルとボウエンによって、芸術に関する本格的な調査が実施された。
それは、どうして芸術に助成が必要なのかということを科学的に解き明かしたものだが、
その中で言われたのはいわゆる企業での「資産」とか「研究開発費」と呼ばれるようなものの多くは、
舞台芸術においては「人」に蓄積される。
だから「人」の育成、継承、そして組織の「機関化」が絶対にはずせないのだ。

だが、特に日本の場合、芸術の「お稽古ごと」化というのが顕著で、
一般の市民たちが自分でお金をだして芸術を「やる」という風習が根付いている。
イギリスでは演劇学校を出た人が、プロの劇団に入って演劇をやる、それが「演劇をやる」ということであって、
しかも卒業したからと言ってすべての人が演劇のプロになれる保証はない。
だから、これだけ市民が演劇を「やっている」ことをヨーロッパで話すと、「信じられない!」とよく言われる。
だが反対に、ヨーロッパでも日本を見習おうとfringeというプロ・アマを問わないものが増えているという動きも・・・。

「お稽古ごと」が根付き、プロもアマも混在する状況は、お客さんの側からしてみればどの団体がプロ=訓練された人たちの集まりで、
どの団体がアマ=愛好者たちの集まり、なのかは、チラシを一瞥しただけでは見分けがつかない。
プロの演劇を見たいと思っているお客さんに対して、これは面白いという「信頼性」をどう勝ち得ていくか、ということが課題である。

そして一方で、「演劇のプロとは何か」ということを考える必要がある。
そして演劇のプロを「育成」するにはどうしたら良いのか、ということを考える必要がある。
音楽や美術の分野では何がプロなのかは比較的わかりやすくて、「プロ」であるための技術が比較的見えやすいものである。
対して演劇の「技術」とは何であるのか。

(歩さんより→)
少し前の、演劇を市民に根付かせようと、演劇ワークショップがはやった時期があった。
その頃演劇人がよく言ってまわったのは、「演劇は誰でもできますよ」ということ。
それがちょっと誤解されて、「ああ、演劇は誰でもできるのね。」と考えられてしまうようになったのではないか。

(米屋さん&歩さん)
でも本当は「演劇は誰にでもできる」ものじゃない。
たとえば、「まるで初めて起きたかのように再現すること」であったり、
「いきなりポン!と感情を出せる」というようなことができるのがプロである。

(飯塚さんより→)
では、プロの演劇人を創る方法とは何なんでしょうかね?

(米屋さん)
そのように「方法」と考えるのがすごく日本人的だな、と私は思うんですよ。
「お稽古ごと」の考え方もあってか、何か技術を人に教えてもらって、それを繰り返していけばできるようになるものだとみんな思っている。
そうではなくて、たとえば新国立劇場研修所講師のローナ・マーシャルは
「プロかどうかはいかに自分で ”掘り下げるか” ということにある」と言っている。
こういう表現をしたいなという時に、どうしたらいいかが自分でわかる。
自分の気持ちを、自分の状態をちゃんと把握してそれをコントロールできるということ。
彼女は「クリエイティブ・ジャーニー」と呼んでいる。
彼女に、一般の人向けのワークショップと、俳優を志す人向けのものと、プロの俳優向けのもの、は違うのかたずねたところ、
「考え方は一緒である」と言われた。
ただプロは ”掘り下げ方” の ”深さ” をぐぐぐっと深いところまで掘り下げるのだと。

人材育成という面では、こうしたことができる「場」と、そして俳優に対して適切に声をかけてあげられる本当の「指導者」が必要となってくる。


→レポートそのBに続きます。
posted by 研究員まゆ at 03:41| Comment(0) | アーツ・マネジメント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月20日

「演劇は仕事になるのか?」レポートその@

19日(日)に札幌市内で行われた「演劇は仕事になるのか?」著者 米屋尚子さんによる無料セミナーを聴講してきました。
著書の中ではもちろん、日本全体の演劇についてしか触れられていないので、特に「札幌」に特化したお話が聞けて
とてもとってもためになりました!

2時間に及ぶ充実じたセミナーでしたので、
これから数回にわけて、その模様をレポートしたいと思います。
※本セミナーは参加無料だったので、そしてセミナーの趣旨としても、札幌の演劇人みんなで共有しても問題ないかなと考えました。
というか、ぜひぜひ共有したいなっと思いました。
なお、同じく聴講された方で、私の書いた内容を加筆・修正などありましたら、教えていただけるととても嬉しいです。
まずは速報性をと思いアップしましたが、正確性を考慮して私自身も随時修正するかもしれません。
そのあたりは個人ブログであることを考慮していただいて、ご了承ください。


まずはレポートその@として、「助成」と「公益性」、のあたりから。
↓↓


「演劇は仕事になるのか?」
著者 米屋尚子さん セミナー 2012年2月19日(日) in シアターZOO

米屋さん自身について。
昔は演劇部に所属。演劇に興味はあったが、やる方になろうとは思っていなかった。
銀行員などを経験したが、クラシック音楽をやっている姉の影響で「どうしてお姉ちゃんだけ好きなことをやっているの!」と思い、
自分も好きな演劇の道に携わろうと思った。

96年から芸団協に所属。
ざまざまな演劇人や劇団と関わり、稽古の様子などを見せてもらううち、
「あんなにすばらしい舞台を創っている人たちが、こんなに生活苦な毎日を送っているなんて、本当にこれで良いの?」と思うように。
ピーター・ブルック「カルメン」来日の際には、「やっぱりピーター・ブルックはすごい!それに比べて日本の演劇は・・・」と、
有識者がこぞって取り上げたが、「いやいやいや、だって演劇を支える仕組みそのものが違うじゃないの、日本!」と感じた。

2001年の文化芸術振興基本法の制定に携わった米屋さん。
その調査に従事するにあたり、今の日本の助成制度は変だぞ、というのが見えて来た。

たとえば、予算の経常書?を提出しその「赤字なところを補填する」という助成のありかた。
これだと、たとえば100万円の助成金がほしいと思ったら、「200万円の赤字」を盛り込まなくてはならない。
で、その赤字をどうやって埋めてるのですか?という欄もあるから、
そこに「われわれがかき集めたり、借金したりしてなんとかします!」みたいなことを書かなくてはいけない。
しかも、公演を終えたあとはその「報告書」も領収書を添え「予算書」と同じように提出しなければならない。

米屋さんの知り合いの中小企業診断士に「会社だったら完全につぶれてますよね」と苦笑されたほどの、
このかつての(90年代)助成金制度。
今はこうしたあり方は少なくなってきてはいるが、
根底には、制度制定の際の「日本」の実態把握調査不足があったのではないかと米屋さんは考えている。

米屋さんが「日本の助成制度はこっちへ行くんじゃないかな」と思っている方向について。
民主党政権に代わり、「新しい”公共”」ということが掲げられてきた日本。
それは、大枠の方向性は行政がにない、そのための手段や方法は「民間」がになう、というありかた。
特に昨今では、人々のニーズも多様化し、行政が一元的に支援する、というのは難しくなっている。
だから行政を一方的に批判するのではなく、個々の演劇人が、おのおのに合ったやり方を模索していけばいいんじゃないのかな。
というか、そういう風になっていかざるを得ないだろう、と米屋さんは考える。

だが、このとき助成を受ける側の演劇人、劇団に問われるのは、「演劇の”公益性”」ということ。
特に「演劇って好きな人が好きなことを勝手にやってるんだろ?」と考える人々がまだ少なくない演劇においては、
助成自体が「まあがんばってるからたまにはあげよう」みたいな「ごほうび」的に扱われてきた風潮もかつてはあった。
今は「こういう社会にしてほしいから、あげる」という助成金の理念がだんだん明確になってきているから、
それをもらう演劇人の側も、その目的の趣旨を意識する必要がある。
※企業の協賛金をもらうにしても、「どうして演劇にこんなにお金が要るの?!」と言われることもあるから、
「なぜ社会に演劇が必要なのか」ということを説明できる必要がある。

そこでたとえば、北海道演劇財団はこの公益性ということに関して、
「民間で、パブリックで、複数」ということを掲げている。
今回の「演劇シーズン」の作品「かめ」の選定においても、かつて上演し好評であったものであり、
客層に幅があっても大丈夫な「間口の広い」ものをと考えて選んだ結果である。
TPSはよく「斎藤歩の個人劇団」と思われているが(笑)、公益法人。
北海道の演劇のため「創造普及、人材育成、海外(国際)交流」という3本柱で動いています、とのこと。(←歩さん、平田さんより)

今回の「演劇シーズン」について米屋さんはどう思うか、について。
演劇シーズンは「100人のプロの演劇人が演劇で食べていける」ことを掲げているが、この呼びかけについては疑問。
そこにはそれを支える「万単位のお客さん」の存在が必要である。
確実に良いものが見せられるプロがいるからお客さんが見てくれ、
お客さんが大勢見てくれるからこそ演劇のプロとして活躍できる人々がいる、という、
お客さんと演劇人とは「にわとりと卵の関係」。
札幌という「地域」全体として演劇をどうしていくのかという選択をこれからしていかなければならないだろう。
一方で、こんなことがやれるのは「札幌」ならでは。東京じゃ情報が多すぎてきっと埋もれてしまうでしょう、とも。

歩さん→「この街にはこんな作品が必要じゃないのか、ということを掲げていかなくちゃいけないんですね。」


→レポートAに続きます!
posted by 研究員まゆ at 06:35| Comment(0) | アーツ・マネジメント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。